ネコメシCEOブログ

ネコメシCEOのブログです。主にツルカメの話題を書きたいと思います(謎)

ある意味、自分は選ばれた人間だと思ってがんばろうよ、ねえ、みんな(誰)

僕は小学校時代はちょっとした人気者気分だったけれども、中学でもその成り行きでやってたら、喧嘩つえーグループ(ま、いわゆる不良グループ?)に絡まれて何度も泣かされた。まあ、そのあとそっちに半分鞍替えしてうまい按配で過ごしてたから、最終的には何とかなったけど、あんましいい思い出ないな、中学は。

 

で、中学まではけっこう頭良くて、偏差値79とかだったんで(自慢w)、高校、塾通ってたけどあんま関係なく、いいトコ入れた。順風満帆とはまさにこのこと。

 

しかし高校一年の三学期、調子こいてスキー旅行したら足骨折して、骨折の按配悪くて結局三学期まるまる出席できなかった。進学校だったからなのかわからんけど、周囲は三学期時点で二年の勉強はじめてたらしくて、僕は二年から復帰した途端、特に数学で破たんして、一気に不良路線まっしぐら。あほやね。今思えば、そんでもきちんと勉強しておけばよかったと思うんだけども、まあ、不良路線いっちゃったんだからしょうがない。日々、学校では賭け大貧民(ポーカーとかじゃなくて、大貧民だったんだよね。ちょっと特殊ルールの)して、途中でフケて、雀荘に入り浸り、さらに夜になったら渋谷センター街(当時、特にやばい感じになる黎明期頃かしらね?)に移ってファミ通読むみたいな、そんな日々を2年間してた。最悪。意味不明。タイムマシンあったら戻って注意したい。そんくらい、ひどかった。まあセンター街でたむろしつつもファミ通読んでるとかだいぶ平和なんだけど、たまーに、喧嘩になったりとかねえ。「なんだよ、こっちゃファミ通読んでるだけだろがオラー」みたいな。意味不明すぎるw。

 

でもまあ、そんなこんなしてても、何とか卒業自体はできて、でも大学は入れなかった。ふつーにやってれば大学行ける付属の進学校だったんだけど、入れなかった。まあふつーにやってなかったから仕方ない。偏差値低すぎて米印だったくらいなんで。でもまだ働きたくなかったから、専門学校いくわーみたいになって。ちょうど当時、ゲームクリエーターになろう的なCMがよく打たれてたのもあって、ゲームクリエーター学科がある専門学校へ結局行った。でもそこ、謳ってただけで実は体制なくて、何これ?って3年間だった(3年制の専門学校だった。なので、短大卒の資格もってるw)。専門学校では、先生がいないという理由で(学費はきっちり取られている)、わりと授業なかったりもしたけども、まあ、プログラミングコースを専攻してて、それなりにCとC++、あとアセンブラ書いて過ごしてた。PCが潤沢じゃなかったので、基本、ノートに鉛筆でアセンブラ書いて、それをたまにいた先生に見せて目デバッグしてもらって、そのあと実際に打ち込んだりとかね。90年代初頭にしてはだいぶ古い勉強方法ではないかと思うが、まあ実際そうだったんだから仕方ない。そんでも、最終的にはVRAM的には256出るけど標準だと出ないPC98の何かに、256出るライブラリとかMIDI鳴らすライブラリとかも作ったりとかできたわけだし、けっこう頑張ったんだと思う。ゲーセンで喧嘩売ってるほうの記憶のほうが多いけれども。

 

専門学校の三年目は、あまりに体制整ってなくて学校側が諦めたのか知らんけど、とりあえずインターン行けやみたいになって、僕はノバックっていう会社へインターンで行った。当時、CD-ROMドライブのドライバみたいなのが結構売れてる会社だった(今もある)。そこで僕はサポートでかかってくる電話対応と、あと、自社サイトづくりをやってて、毎晩、えろいVideoCDを大量に持ち帰っては(ジャケットのスキャンするんで、とか理由つけて)、まあ、楽しんでたw。その頃Netscape2.0が出て、うおーなんだこのテーブルってタグわーみたくなって、テーブルタグ超楽しんでカタログみたいなの作ったりしてた(テーブルのフレームを表示するほうが、当時としてはカッコイイみたいな頃)。インターン期間終わっても、そのままバイトしてたんだけど、ふと「東芝EMI」って段ボールを見かけて、あれ?何?東芝EMIさんと取引あんのここ?とか思って、今思えば非常識なんだけど、上司的な人に「ノバックいつまでいてもゲーム作れないけど東芝EMIならゲーム売ってるし!段ボールあんなら繋がりあんでしょ!紹介してよ!」という訴えをしまくった結果、紹介してもらって東芝EMIに移籍した。

 

東芝EMIに移籍した時点でもまだ専門学校生だったので、クソみたいな単価で働かされたけど、それでも、ゲーム作れるんだーって幻想抱いてたので、毎月300時間以上の労働を苦も無くしていた(この300時間以上っての、このあと10年は続くんだが…)。しかし僕がいた2年弱、結局ゲームを作る機会は訪れなくて、「Nゲージワールド」っていう企画からやったCD-ROMが一番の思い出かな。まあ、そんなことしてた。途中で学校卒業したけど、クソみたいな単価ほぼ変わらなくて最後までクソ扱いだったけど、今思えば、とても大事な時間を過ごさせて頂いたと思う。

 

で、まあ、あまりのクソ扱い加減に嫌気がさして、やめたるわー的な感じで東芝EMIやめるんだけども、そのあとは、ものすごく適当な社会不適合者だった。いちおうフリーでWebとかやりますよーという表向きでありつつ(当時はそれをセルフプロモーションする手段は事実上なかった)、まあ仕事ないしなってことで、警備士とかサッシ組み職人とかやってた。途中で、ニフティの壁会議室で意気投合した連中10人くらいと会社も作ったけど、まあ仕事なかった。だからずっとバイトに励んで生活してた。

 

そんな中、専門学校同期の連中と同窓会的なことしたら、社保だの有休だの自慢されてムカついたので就職しようと思った。で、まあ、いろいろ紆余曲折のすえ、職場になったのがマイクロソフトだった。マイクロソフトすげー楽しかった。最先端だなーって思いながら毎晩徹夜で仕事してた(実際には仕事じゃない研究開発してたけど、報告書上は仕事してたことになってた)。iモードさえまだ無かった頃に、iモード向けのサービス作ってた。当時はあんま感銘うけなかったけど、今思えばすごいことしてた。最初のiモードCookie無いんだけど、無くてもCookieのごとき動作するISAPIのフィルタとか作った。本国からコードよこせとか言われたけど突っぱねた。楽しかったなあ、あの頃の日々。そんでまあ、とかなんとかやってるうちに、作ってるもんサービスにして売るわってことになって、新会社作られて、そこに作ってたもん移管されて。で、おまえどうするよ?って話になったわけ。新会社の幹部になるか、マイクロソフトのどっかのマネジャーになるか的な。いろいろ逡巡したうえで、結局は全部断って、bAつくるために信蔵さんの弟子入り的なほう選択したんだけど。Webやりたかったから。

 

でね、bAつくってさ、たくさんWeb作った。Web作るための手法とかもすげーたくさん考えた。Webを焼畑的に作り続ける企業体が永続するための戦略とかもすげー考えた。たくさん、たくさん、実施した。うまくいったのたくさんあるし、ちょっとはうまくいかなかったのもあった。でもうまくいかなかったのも全部糧になってる。何も無駄はなかった。bAありがとう。bAの創生から10年弱、僕はそこにいられたこと自体が今の礎になってる部分ものすごくある。本当にありがとう。bAの中で出会えたみんな、本当にありがとう。僕は今も元気にやっていますと言いたい。

 

そんで、bAの後、今はツルカメ名乗ってやってるわけ。IAとかUXの専門家だとか名乗ってるわけ。でも、誰も僕を「あなたはIAとかUXの専門家ですね」という認定をしたことはない。僕が勝手に名乗っている。なぜかっていうと、ずっとそれやってきたから。かれこれ20年弱やってきてる。東芝EMIの頃からやってきてるという自負がある。そしてそれを裏付けるだけ勉強してきてる。高校生までもっと数学やっときゃよかったなーとか、後悔すげーしてるけど、まあ、それなりに頑張ってるよ。

 

これ、ものすごく簡略化していうと、「高校時代落ちこぼれでやむなく適当な専門学校いった→一応そこで勉強してたこと役に立ってマイクロソフトでアホみたいに働いてたら活躍できた→bAっていう伝説の会社の設立に関与できたどころか最後は経営してた→今ここ」みたいなことなんだよね。僕が昔から社会不適合者じゃなくて、まっとうな人間だったならば、今ここにいないかもしれない。このブログを書いてないかもしれない。(つーか、もう餓死してるかもしれない)

 

弱い人間を、そのままの形で、認めてあげようよ的な動きがあるの、知ってる。政治的にもあるよね、そういうの。それはそれでいいと思うんだ。でも、僕個人としては、やっぱり、頑張ったやつは報われるべき的な観点あって、もちろん、報われるっていうのは、社会的に認められるという部分があるから、単に頑張ってるだけじゃだめで、すごく頑張らないといけないよ。でも、今まで頑張ってきたことはすべて無駄じゃない。全部つながっているんだ。人が、それまで培ってきた経験は実に多様であって、誰にもそのプロセスは真似できない。僕は僕であり、あなたはあなたなんだよ。その蓄積された経験のすべては全部価値なんだよ。とある人っていう、ごく個人にしか、それは存在しないのだからね。

 

自分は会社勤めが長いから云々とか、自分はひきこもりだから云々とか、そういうことじゃない。あなたの経験の蓄積はそれ自体がオンリーワンなんだよ。ぜひとも、その力を社会に活用してほしい。みんながみんな、ものすごーく上のレイヤーから俯瞰したら、全員が選ばれた人間なんだと思う。僕はみんなを羨ましいと常々思っている。僕は僕自身をすげーやつだなあとなるべく思うようにしている。そのうえで、みんなを羨ましいと思っている。僕には経験できなかった蓄積があるわけだからね。向上心をもとう。社会を良くしようと思おう。デザインしよう。そうして未来が形づくられるのだと、僕は思う。

 

頑張ろう。ずっと、ずっと頑張ろう。僕はずっと頑張っているから、ひとりじゃないからね、頑張っている人は。ね、頑張ろうね。