ネコメシCEOブログ

ネコメシCEOのブログです。主にツルカメの話題を書きたいと思います(謎)

引越しにともなう本の処分について

[2014/1/20 16:07追記] すみません、本のほう締め切りました! 思ったより反響あって…。ということで、とりあえずどうでもいい思い出話のみ、お楽しみ頂ければと思います。

 

もうすっかり正月気分ではなくなってしまっておりますが、改めまして、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

で、早く引っ越さないとなあと思いつつ年を越してしまったのですが、いよいよ来月、引っ越しをすることにしました(引っ越し先は確定済です)。新しい家は、僕の一人暮らし(ないし二人暮らし)の今までの過程において、最も狭い部屋になるため、かなり思い切った断捨離を敢行しなければなりません。超お気に入りのソファも捨てないといけない……一生使えると考えて買った超高いソファなのに……。PCや家電のたぐいの箱も全部とってあるやつも捨てないといけないしなあ。めんどくさい。あと、なんか非常食や保存食や水などが僕ひとりなら半年は生きて行けるくらいあるので、これも処分しないと。というか、今日から引っ越し当日までこれ食って過ごせばいいのか。そうか。むしろこれから食費がゼロになる!

 

さて掲題の本の処分について書く前に、ちょっとどうでもいい思い出話から書きましょう。

引っ越しのサイクルは、人によっては更新ごとに引っ越すみたいなのもあると思うんですが、僕はわりと更新にこだわりがないので、実家を出てから15年ほどになりますが、今住んでるところが5つ目です。単純計算で3年ごとですか。うーむ、見事に引っ越し貧乏化の法則というか。

 

思えばまだ若気の至り臭がプンプンしていた15年前、当時の勤務先であるマイクロソフトの所属が、笹塚のコンシューマプラットフォーム部から調布のモバイル戦略統括部に移りまして、自宅は浦和のはずれのほうにあるんですけど、さすがに調布へ通うのはしんどいということで初めて実家を出ることにしたわけです。電通大の近くの調布市富士見町に、2DKの家を借りました。これがなかなか広くて、家のまわり全周囲がベランダだし屋上もあったし駐車場もついてて、かなり良かった。駐車場は使ってなかったけど。というかあまりにも使わないでいたら、知らない人が止めてたけど。過去をやり直すことが出来るのだったら、今でもそこに住んでいたい(住んでたらもっと僕お金持ちだったろうに)。勤務先へはキックボードで往復してて、ほぼ調布から出ることのない生活をしていました。キックボードの最高速度に挑戦してて、ものすごいスピードが乗ったところでマンホールに引っかかって5メートルくらい宙を舞ったこともあります。そして血だらけになって出社したら上司(現アユダンテ社長の安川さん)に帰れと言われたっけ。

 

その後、マイクロソフトを抜けてbA設立のために前身のリフレクスへ転職するわけだけど(2000年6月1日からリフレクス勤務。bAを名乗りはじめたのは月末頃から)、今度は勤務地が芝公園になりまして、京王線で新宿、山手線に乗り換えて田町まで行ってそこからキックボードで出勤という日々……と思いきや、ほぼ住んでる並みに会社に居続けたので、あんまり通勤しなかったような気もします。たまに帰るんだけど、深夜早朝に帰るから帰りはいつもタクシーだったな。甲州街道まっすぐ行って調布の下石原交番前を右に武蔵境通りに入って最初の信号で降ります、というフレーズを今も覚えている。それにしても、デザイン会社というのは基本的にどこでもブラック企業かと思いますが、bAもかなりブラックだった。とにかく給料が安かった。ほかの人(勇吾さんとか)はちゃんと貰ってたんだろうけど、僕は安かった。僕は信蔵さんに弟子入りしようとしたら会社作るから来いよと言われて来た経緯から、社長の林さん(現BA会長)のことは知らなかった(信蔵さんが社長かと思ってた)。働き始めて林さんと給料決める面接をしたら、「俺は雄のことよく知らないから25万でいいよな」みたいに言われて、やっす!て思ったけど(マイクロソフトの時は月40くらいは稼いでいたので)、とりあえずほかに行くところもないし、Webデザインやりたいからマイクロソフトに残らなかったんだしってことで、「はい」と答えるしかなかったというか、でも実際の返答は「僕も林さんのことよく知らないんですけど」だったというか。なんというふてぶてしさだという話ですよ。よく雇ってくれたもんです。でも雇って正解だったと思いますよ(今尚ふてぶてしい)。ちなみに給与については翌年から改善されました。

 

bAは年明け(2001年)から、事業拡大のため五番町の大きなオフィスに引っ越した。最寄駅が市ヶ谷か四ツ谷という位置で、調布からは京王線が都営新宿線直通なのでとても便利になった。まあ、相変わらず、ほぼ住んでるくらいに会社に居続けてたから(最長で3ヶ月。季節が変わるくらい居続けたなど)、交通の便はわりとどうでも良かったんだけど。たまに帰ると、当時新聞をとっていたので、新聞屋さんが玄関のポストに頑張って入れてて新聞が南京玉簾みたいになってたこともありました。明白に長期間留守だというのがバレバレなので、よく泥棒に入られなかったもんだと思いますね。運が良かったです。五番町にはそれから5年半くらいいるんだけど、なんだかんだ、いろいろ感慨深い出来事だらけで書き切れない。よくもわるくも、古き良きbAの全盛時代ですね。あの当時にbAの最前線で働けたことは僕の貴重な財産です。で、この間に僕は最初の嫁と結婚するんだけど、結婚の前、1年弱ほど、最初の嫁んちと会社を往復する日々を過ごしていて、これ調布のアパートに家賃払ってんの無駄じゃね?ってことになって、アパートを引き払って目黒で同棲することになります。目黒は、当時、萬馬軒というラーメン屋があってここの醤油つけめんがものすごいお気に入りで、あと、プレッセに最強の鮭とばが売ってて、この2点のみを以て、住むなら目黒だねという印象を僕に強く与えていまして、なので今現在も目黒に住んでいるんですが、実はとっくの前に萬馬軒は火事で閉店しているし(その後、人形町で復活し、現在は桜上水にある)、鮭とばも入荷されなくなって久しく(その後、最強の鮭とばを求めて楽天で売ってる鮭とばという鮭とばを食べたけど替わるものに出会えず、つい2年ほど前に荻窪タウンセブンで最強の鮭とば同等品に出会う)、ぶっちゃけ目黒にこだわる理由はもはや何もないんだけど、なんとなく惰性で目黒にいる感じ。で、同棲を経て結婚し、白金にマンションを買って引っ越すんですが、引っ越してから1年くらいで、残念ながら離婚とあいなります。それはそれとして、ローンあと30年以上あるんだけど的な感じで、とりあえずひとりで3LDKに5年くらい住み続けることになります。広くて快適でした。マンションには老夫婦とかご年配の方が多くて、理事会では期待の若者扱いをされ、なんかずっと監事をやってました。

 

2006年からbAは竹芝の吹き溜まり方面へ引っ越します。この時、僕はbAの取締役になっていました。思えば、古き良きbA全盛の頃、みんなと切磋琢磨して職人的スペシャリスト(僕の場合は、マークアップエンジニアであったり、プロジェクトマネジャーであったり、インフォメーションアーキテクトであったりといった職人的スペシャリスト)を目指していて、勇吾さんや阿部さんたちから一目置かれたい的なポジションを標榜してがんばっていたけど、彼らはbAを卒業していき、僕は職人というよりは指導する立場になっていて、なんとなく、目標であった人たちと肩を並べられた結果が、スペシャリストではなく経営者としてということになってしまいました。取締役になった時、そんなことをぼんやりと思って、こういう形で名を上げてしまって無念だと感じたことを今でも覚えています。過去にさかのぼることは出来ないから、なるべくしてなった結果なのだけれども、正直、ちょっと泣きました。まあ、こうした経緯もあって、僕は現在でも、零細企業の経営者をやりながら、プレイングマネジャーじゃなくプレイヤーに徹するにはどうしたらいいか?という戦い方の模索を続けているわけです。そんで、僕は2009年にbAを辞めるのですが、その辞めるちょっと前に、僕に新しい春がやってこないのはたぶん、かつての家庭を築こうとして買ったこのマンションに住み続けてるのが悪いんだと思いまして、マンションを売ってアパートへ引っ越しました。この時の引っ越し先が目黒だったわけです。萬馬軒鮭とばもないけど、まあなんとなく慣れた街ということで。雅叙園の近くのとあるアパート、1LDK+Sでわりと広いけどわりと値段も高かった。しかしすさまじく民度が低くて、とんでもないアパートだったんですけど、まあ、そこには言及しないでおきます。余裕があったら別の機会に。よく飲み会でネタ話にしてます(わりとウケます)。

 

その民度の低いアパートへ引っ越した時、ちょうどbA勤続10年目に突入したので、10周年になったら大感謝祭をやるぞ的な意気込みだったんですが(当時のブログ記事:http://securecat.exblog.jp/9803516/)、それからほどなくして退職のお知らせ(当時のブログ記事:http://securecat.exblog.jp/10141329/)という、なんというか激動の2009年でしたというか、まあ早い話が、7月にいろいろあったわけで、結構いきなり決まってしまいました。半分は納得して半分は納得してないというか、実はこの納得してない部分に関しては、しつこい話で恐縮ですが、今でも納得できたのかっていうと納得してなかったりします。まあ別にもういいんですけど。で、それから8ヶ月、就職活動をしながら読書家を名乗って過ごしていたのですが、なぜ読書家を名乗ったのか?といいますと、bA在籍当時、僕は自分専用の本棚を持っていて、そこに1000冊以上突っ込んであり、さらに入りきらずに段ボールがあふれていて、合計で数千冊以上の本を持っていました。10年弱いて数千冊ではなく、2~3年に一度、ブックオフを呼んで処分をしていたので、述べでいうとものすごい冊数だと思うのですが、まあとりあえず、辞めるに際して、これ全部持って帰ったら床が抜けるなと思いまして、どうしても持って帰りたいものに限定して(それでも100冊以上になりましたが)持って帰ったのです。残りは社員に持って帰っていいよと放出して、それでも余った分は処分をお願いして。今まで命削って走り続けてきたから、しばらくはたくさんの本にまみれて半分隠居の読書生活でもしようかなあと思ったのですよね。そんな話をセミトラの菅井くんにしたら「読書家」という肩書をつけてくれたという次第でして。

 

ちなみに読書家を名乗っていると、いろんな出版社さんから献本を贈って頂いたりとかもしたのですが、なんというか結論としては、「おれ、あんま本好きじゃないのかも」という辺りでして、ようするに、読書家の期間中、ほとんど本読まなかったというか。献本に関しては、「あ、書評家じゃなくて読書家なので、何もフィードバックしないので」というわけのわからんお返事をするなどしていました。今に至るまでに、一応どれも目を通しはしましたが、その節は大変申し訳ありませんでした。

8ヶ月の隠遁生活の末、導き出された進路がツルカメとしての起業でした(2010年設立)。その2年後、ネコメシも設立。これはもう、いっぱしの起業家ですよ。去年はKDDIウェブコミュニケーションズの顧問にもなっちゃうなど、もうなんていうのか、ちょっとしたもんですね。で、おととし、2度目の結婚を期して、当時の嫁候補と同棲を始めるべく新しい家へ引っ越しました。これが今住んでいる家です。恵比寿ガーデンプレイスまで徒歩圏内、だけど目黒区っていう場所です。目黒to目黒です。しかも賃貸ながらも一戸建て、しかも三階建てでした。この家がなかなか良い感じなんですけども、この2度目の結婚(婚約)はあえなく御破談となりまして、去年からその家に一人暮らしとなっています。前例に基づくと、こういう新しい家庭を築こうとして住んでる家にあまり長くひとりで居座ってもろくなことがない(というかそもそも一人で住むには家賃が高い)ので、これはもうすぐにも引っ越さねばと思っていたんだけど、なんだかんだ年を越してしまいました。しかし、ついに引っ越し先が決まったので、来月から一人暮らし向きのおうちで一人暮らしを始めるのです! しかも今度は目黒じゃない。三軒茶屋です。ツルカメまで徒歩圏内な三軒茶屋です。楽しみだなー、三茶ライフ。

 

……と、非常に前置きが長くなりましたが、そういうわけで、bAから持ち帰った本たちが今なお家に鎮座しておりまして、これらをどうにか処分したいというお話です。まあ捨てればいいんだけど、そこはかとなく勿体ない感もあるじゃないですか。

 

ということで、お楽しみ袋的な感じで、無作為に抜粋した5~10冊程度を希望の方へ送りつけるというのをやってみようかと思うんですが、どうでしょうね。引っ越し日まであまり猶予がないので、受付期間は今週金曜までくらいにしたいのですが、もしご希望の方おりましたらご連絡くださいませ。

 

  • 受付期間:1/24まで(24時までとか厳密なのかはわからないけど)※受付締切済
  • 連絡先: securecat [at] gmail [dot] com または Twitter または Facebook へDM(Facebookはフレンドじゃないと気づかないかもしれないのでご注意)
  • 費用:本の代金は無料。着払いで送ろうと思うので送料分をご負担頂ければ。
  • 注意事項:無作為に抜粋した5~10冊程度なので、すでに持ってる本が届いてもご容赦ください。だいたいのジャンルの希望があれば、可能な範囲で対応したいと思います。あと、僕に住所と電話番号と名前を教えて頂くことになるんですが、この発送のためだけに使用しますので、という感じです。

 

こういうのどんくらい需要あるのかサッパリわからないのですが、ご興味ありましたらということで。今週末に本はことごとくを処分予定です。